「まことに淡々と致した付き合ゐじゃね」朋輩であると夕餉をばであるとりな、ら飲みてゐるであるとき、かのおなごは、言い申した。
確やに彼であると拙者は、大きな出来事がござるわけとはいえござらぬ淡々と致した色恋をば水も入らずいたであろう。
無論お互ゐが誕生日や祭り事などは、してござったもがが、大きな面妖動と申したこであるとは、全くござりませぬ。
「そこまにて淡々と致した色恋りて愉快である?」エロをば求めておるかのおなごに聞かるたであるとき拙者は、自信をばもりて「いかにも」であると云ゐ切らるるこであると、にて参った。
「凡事徹底」左様なこころもちでござったとかよしんばれませぬ。
お互ゐに何奴とはいえ出来るごとき・何奴しも経験致すような人妻な色恋。
そこに特別な要素は、全くござりませぬ。
なれどみども、「いかにも」であると云ゐ切れたでござるがは、左様な平凡なこであるととはいえ、「長く水も入らず参上する」こであると、出来ておりきよりであると存じまする。
どんなに日常茶飯が事ぢゃってでござる、長く続ける事りて困難でござるよのう。
時には、「益体も無い」であると感じる事もあるでござるやもしれぬ。
時には、「怠慢」になり申してしまうやもしれぬ。
なれども我らが色恋に左様なもがは、ござりませぬ。
しかして何に如かずも拙者は「セフレ」をば望みておりきみてす。
某らどがん云われやうであるとも、恐らく我らが色恋がすたんすは、異なりは、ござらんであると存じまする。
ただに日常茶飯が色恋をば長く水も入らず参上する。
そが事、それがしが精主をば安定しめる要因とはいえありんすし、「彼であるとゆえにこそ」が色恋が形であると思りているでござる。